有害なミームと化した「バーベンハイマー」。でも、それに振り回されてはいけない。

 2023年7月21日、アメリカでは映画『バービー』と『オッペンハイマー』が同日に公開されました。片方は世界的に人気な着せ替え人形を扱った映画、もう片方は原爆を開発した物理学者の映画ということで、全く正反対の作風の2作品が同時公開されたことがアメリカでは話題になっています。

 

 2つとも今のハリウッドで最も実力のある監督による作品であり、オールスターキャストが揃っているので、期待値はどちらも高めでした。公開後も評価は高く、米批評サイトRotten Tomatoesでは『バービー』が89%フレッシュ、『オッペンハイマー』が94%フレッシュを獲得しています。興行収入も絶好調で、特に『バービー』は女性監督の作品史上最高の成績を記録する見込みです。

 

 このようにタイプの異なる話題作が同日公開されたことで、アメリカでは「バーベンハイマー(Barbenheimer)」というミームが生まれました。要は、バービーとオッペンハイマーという言葉を合わせただけなのですが、これに関連して様々なネタがSNS上に投稿されています。

 

 この現象自体は、悪いものではありません。相乗効果で2作とも興行収入が増えるなら、最近落ち込みがちなハリウッド映画界にとっては良いことでしょう。ミームの中には、例えば「いかにも『オッペンハイマー』を鑑賞しそうな厳つい男たちが、実は『バービー』を観に来ていた」といったような、他愛のないものもあります。

 

 ただし、一部のミームには、眉を顰めたくなるようなものもあります。「バーベンハイマー」という言葉は、それ自体が『バービー』と『オッペンハイマー』を合わせた言葉なので、この2作を合わせたようなポスターや画像も多数インターネット上には投稿されています。もちろん、これらはすべて一般人が作ったものであり、映画公式は関係ありません。

 

 

 何が問題なのかというと、アメリカ人は原爆のことを基本的に全くシリアスなものだとは考えていないので、ポップな原爆なイラストを描いてしまうことがあるのです。ピンク色のきのこ雲や原子爆弾の上でポーズを取るバービー。日本人なら思いつきもしないだろうし、万が一日本のSNSに投稿したら総バッシングを受けること確実なものばかりです。

 

 これらのミームを作ったのは一般人ですが、最悪なことに、アメリカの映画『バービー』の公式X(Twitter)の中の人がそういったミームに反応し始めたのです。そのうちの一つでは、一般人が作ったバーベンハイマーのポスターに「忘れられない夏になるね」とコメントを添えています。確かに、1945年8月は、日本人にとって永遠に忘れることのできない夏になりましたが、決してネタにして良いことではないのです。

 

 アメリカ人は、ホロコーストのことは絶対ネタにしません。そこで、多くの人が死んだことをよく理解しているからです。でも、原爆に関して同じ倫理観を発揮することができないのです。それは、被害に遭ったのが、世界地図の端っこにある国、日本だったからなのでしょう。

 

 アメリカでは、原爆のおかげで戦争が早く終結したのだから結果的には良かったのだという考えがそれなりにメジャーです。もちろん、日本人はそんなことを思ってはいませんが、これ自体には事実関係の認識の違いもあります。ただ、誰にも明らかな事実として、日本では2発の原爆によって20万人以上の人が死に、多くの人が後遺症に苦しむことになったのです。その事実を知れば、どんな人間でも、原爆のことをネタにしようとは思えないはずです。

 

 

 ただ、改めて言っておきたいのは、このようなミームを作ったり反応したりしているのは、一般人と映画『バービー』のアメリカのSNS担当者だけだということです。両作の映画の製作者は全く関係ありません。だから、このことが原因で、映画を観に行かないという判断をしてほしくはありません。

 

 映画『バービー』の監督であるグレタ・ガーウィグは、当代の最も素晴らしい映画監督の一人です。たとえ絵柄がポップだとしても、内容にはきっと強烈なフェミニズム的なメッセージが込められているに違いありません。マストウォッチな作品だと言って良いと思います。

 

 映画『オッペンハイマー』の監督は、クリストファー・ノーラン。この人は、今のハリウッドで非フランチャイズの巨額予算映画を作れる唯一の人物です。今回、題材に選んだのは、マンハッタン計画を主導した物理学者のロバート・J・オッペンハイマー。ノーランもアメリカ人であることには違いないので、彼が原爆に関してどのような認識を持っているのかはよくわかりません。でも、きっと大丈夫なんじゃないかとは思っています。

 

 オッペンハイマーは、マンハッタン計画の主任でしたが、戦後は一転して反核の思想を持つようになります。映画として興味深いのは、マンハッタン計画ではなく、こちらの話だと思うのです。ノーランも、きっとそのあたりを描きたいから、タイトルが「マンハッタン計画」ではなく『オッペンハイマー』になっているのだと私は考えています。

 

 バーベンハイマーは有害なミームと化してしまいましたが、映画自体は2作とも期待できるものです。映画『オッペンハイマー』が、日本人にとってセンシティブな題材を扱っていることに変わりはありませんが、今作を観に行くかどうかはミームではなく、ぜひ自分自身の判断で決めてください。